フジコ・ヘミング先生
- fumiyo .m
- 2024年9月6日
- 読了時間: 4分
今年4月21日、2度目の悲しい出来事が世界中に報道されました。
フジコ・ヘミングさん逝去 92歳でした。
NHKのドキュメント番組「ETV特集〜フジコ・あるピアニストの軌跡」
多くの方がこの放送でフジコ先生を知ったことでしょう。
彼女が奏でるピアノの音は、美しく、上品で、上質で、優雅な音色で
美しい音だけを只々追求しているような純粋で無垢な音楽と感じました。
母と2人 テレビに釘付けで見ていたことを覚えています。
それからしばらくして、不思議なご縁がありました。
フジコ先生が帰国されて間もない頃、ある席で私の大恩師(岡部先生)がピアノを弾いたことがあって
「あなた、ピアノ上手ね」と言われたことからお友達になられたそうです。
それから色々なフジコ先生のお話をお聞きしました。
帰国されて頼る方も少ない岡部先生は中親身になって支えて居られました。
お人柄は見たままの子どものように純粋で心のままに生きてこれれた方、そして
「私は私」という強さもお持ちの方でした。
難聴になったり、無国籍の問題で翻弄されたりのたくさんのご苦労と絶望の中でピアノを弾き続けていたのは、生きるために必要な精神を健全に保つ方法だったのかもしれない...
人生、人柄すべてが音になり芸術になったのだろうと感じました。
北九州に来られるたびに食事をしたり宿泊されたり、レッスン室で長時間練習されたり長い間交流がありました。
ある日、フジコ先生がふらりと入った小倉のデパートのペット売り場(昔はデパートの屋上などにありました)で見つけた小さなダックスフンドを買い求めて、岡部先生の家に連れてきて「この子、買ってきたからここで飼ってね」と...。
先生はお家の中で生き物を飼ったことがなかったけれども、「コクラちゃん」とフジコ先生が命名され、その後ずっと命をまっとうするまで愛情深く飼われ続けました。
ある時は、北九州でコンサートがあった時に岡部先生が私と友人と2人に「楽屋まで一緒にいらっしゃいよ」と言ってくださり、フジコ先生とお会いしてお話してくださり、私のセーターに着けていた猫の七宝焼のブローチを見て「猫ちゃんかわいいわね」と仰って色紙にサラサラと猫の絵を描いて記念にいただきました。
フジコ先生とお会いしたことは数回ですが、大変な人生を生き抜いた厳しい気迫は感じられず温和で温かい柔らかな印象でした。
最後は自宅の階段で転倒をきっかけに骨折と膵臓がんも発見され、NHKは最後の姿までドキュメント番組として放映していました。
車椅子に乗り病院のエントランスにあるグランドピアノをリハビリとして弾いていましたが、次第に体力もなくなり記憶の障害もかなり進み目も耳も機能しなくなった状態で記憶している指の動きだけで、おそらくモーツァルトの変奏ソナタの始めの部分とショパンの別れの曲これもはじめの部分だと思われるものを少しだけ触り鍵盤から手を放した。
「ピアノ、もう弾きたくないの?」と聞かれ「たぶんそう...もう...弾きたくない...わからない」と言って自ら静かに「これでおしまい」と言っているようにピアノの蓋を閉じました。
これから先、もう、あの時代の優雅な音楽を奏でる人物はおそらく出てこないと思われます。大切な人を失いましたが、ご本人は「私が死んだら、あちらのにいるモーツァルトやショパンに『あれで良かった?』と聞いてみるわよ...フフ」と言われていたので今頃は愉しんでおられるでしょう。
心に残る言葉
♪私が世界て一番うまいなんて思っているんじゃなくて、私は自分のカンパネラを一番気に入っているの
♪完成なんて人間にはあり得ないですよね。どんな人もどんな芸術家も
♪口のきけない動物や草木に、じっと心をかたむけるといい。
話せなくても、気持ちは通じるものよ。どんなときでも励ましてくれる。
♪どんなに教養があって立派な人でも、心に傷がない人には魅力がない。
他人の痛みというものがわからないから。
御冥福をお祈りいたします。
豊かな感性を育むピアノ時間
ピアノは「生」の楽器です。
デジタルの音源とは異なる音色や響きがあります。
ピアノを弾いてみたい、と思われる方は、是非体験レッスンにお越しください。
福岡市周辺、新宮町近く、古賀市この辺りでピアノ教室をお探しならクオーレピアノ教室
福岡市東区美和台にあるピアノ教室
🎼クオーレピアノ教室
美和台教室:福岡市東区美和台5−6−7
最寄り駅:西鉄貝塚線「三笘」駅から徒歩7分
Comments